今日の教訓

今日得た教訓をひとつずつ


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あの国行ってみたいんだよなぁ、と思って生きることは「なんかいいなぁ」と思う

「あの国行ってみたいんだよなぁ」と思う国があり、実際には一生かかっても行く機会ないかも、ということはわかっているけど、なんとなくそういう話題を出すし、行きたいという気持ちは嘘ではない。そういう「国」とか「したいこと」をかかえて生きていくのは「なんかいいなぁ」と思う。

 

フィンランド(一回行ったことがあるので、再び)やモルディブ(リゾート)、スリランカアーユルヴェーダ)、クロアチア(国立公園の湖)に行きたいと思っている。が、実際にはどの国も行くにはハードルが高い。料金が高く、必要日数が多く、また行くための手段も限られる。そのため、行くこと無く死ぬかもと漠然と思っている。

 

それでもいいと思っている。

 

サーフィンとかやってみたいし、瞑想を極めてみたいし、その関連で仏門も叩いてみたいし、音楽や美術を自らの生業としてみたい。が、それらをやるにはハードルが高い。時間が取れないし、準備は面倒だし、今の仕事をやめなければいけないかもしれないし(瞑想は大丈夫そうですね)。なので、やる機会はないかもとも思っている。

 

それでもいいんじゃないだろうか。

 

 
 

自分のやりたいことをすべてやることが人生ではないと思うし、すべてやりきってしまった後の人生は、なんだか想像したくない。
「あれもこれもできなかったけど、あれはできたし、これはできたし、人生には概ね満足」と思って死にたい。なぜなら、いつ死んでも思い残すことはあるから。

 

あと数日で妻の誕生日だったなぁ、とか
あと数ヶ月で孫の顔を見ることができたなぁ、とか
あと数年で孫が小学校を卒業したのにな、とか
いつ死んでも思い残すことはありそう。

 

だったら、思い残すことがあるという前提で、その考えの実践のため、日々何かを思い残すということは、最終的な思い残しの練習のなるのではないか。

 

 
 

夢を見続けることができるし、実際にいくより詳しくなって、語ることができるようになるし「まっ、行ったこと無いけどね」みたいなオチで話すことも悪くない。
お祭りは、準備している時が一番楽しいんだ。

 

人生は長いけど、何かを成すには短すぎるといった名言があったように思うけど、その通りで何でもはできないから、何でもすべてやるといった肩肘は張らずに、毎日ちゃんと生きていければいいんじゃないか。

 
 
 

今日の教訓

 

あまり教訓ではないけれど、毎日ちゃんと死に近づいていて、その準備や心構えはしておいた方がよいと思うし、いつ死んでも後悔の無いようにしたい。


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