今日の教訓

今日得た教訓をひとつずつ


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奉仕とエゴと

もうすぐ二歳になる娘がいます。
 
うちの子もすぐに大きくなって、一人でいろいろできるようになって、今はまだまだサポートしないとできないことが多いですが、そのうち手助けしなくてもできることが増えてくるのだろう、と思っています。
 
そんな中で、親としていろいろとやってあげるのが務めと思うのですが、一方でやりすぎてもダメだと思っている自分がいます。
それは結局、自分のエゴを満たすために子供を利用している、という疑念があるためです。
 
答えは(なんとなくですが)頭ではわかっています。
自立を妨げるようであれば、手助けすべきでなくエゴであって、そうでなければ積極的に手助けすべきだと思います。でも、この線引きはどのように判断すればよろしいのでしょうか。
 
具体的に考えていくとここで手詰まりとなってしまいます。
 
具体的に進めてダメなときは、抽象的に考えてみます。つまり、掘り下げてダメなら考える次元を上げてみることです。
 
 
奉仕なのかエゴなのか悩みがあり、その線引きで悩んでいたのでした。
考えをより俯瞰して見てみると、次の疑問が浮かびます。
 
1:線引きを明確に決める必要はあるのでしょうか。
2:奉仕かエゴか悩むことは悪いことでしょうか。
3:そもそも奉仕かエゴかは分けられるものなのでしょうか。
 
1は、発端としては奉仕することを自分のエゴを満たすために行っているのでは?という疑念からスタートしているため「明確に決めたい」となります。
 
2は、それ自体を悩むことは悪いことのようには思えません。むしろ、何も考えずにいるより有益なように思います。
 
3は、少し難しいので整理して考えてみます。それぞれ、どのような基準で奉仕やエゴと分類できるのでしょうか。
 
と、ここまで読んでお気づきだと思います。
奉仕とエゴは完全に分けられるものではありません。奉仕は客観的に「誰かのために何かをする」ことで、エゴは主観的に「自分の欲望を満たすこと」のため、重なりあうことは十分考えられます。
 
つまり、最初の問が間違っていたということになります。
 
奉仕とエゴは単純に切り離せるものではないため「エゴを満たすための行動ではないか内省して、戒めながら奉仕する」ということが正解なように思います。
 
このためには心の声に耳を傾けるしかありません。
自分がすべきことをしているときは、誰かに教えられなくても自然とそうわかる、と考えています。
 
自分に必要なことだと衝撃が走って始めた習い事とか、それをしていると完全に穏やかなひとときが流れる、といった経験はないでしょうか。欲望からの行動ではなく、それを行うことが正しいように思うために行う行動です。
 
子供は欲求ベースで行動しますが、大人は正しいと思うことをする、ということが大きな違いだと思います。
 

今日の教訓

心の声に耳を傾け、行うべきことをしてエゴに走らないよう内省を継続することが大事

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