今日の教訓

今日得た教訓をひとつずつ


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○○っぽさを感じることの大切さ

見た目の最初の印象で「○○っぽいよね」と感じることは大事だと思います。
 
 
例えば、こんなことがありました。
 
最近、我が家は引っ越しを考えていて、それに合わせて照明を変えようと検討していました。
あれこれ見た結果、気に入ったものがあったのですが、よく考えるとそれはよく行くスーパーマーケットのレジ上にある照明と激似でした。
 
それを知った瞬間「うわー、やめよう」という気持ちでいっぱいになってしまいました。
それまで気に入っていたのにも関わらず、またその商品の機能に致命的な欠陥があることが発覚したわけでもないのにです。
 
いや、自分の意に反するものに似ているということは、致命的な欠陥なのかもしれません。
 
 
気づかずに購入して、あとから似ていることに気づいた場合、何ともいたたまれない気持ちになるでしょうし、他の人が先に気づいて指摘された場合も、複雑な心境でしょう(笑い話になればよいですが)
 
いずれにしても、自分の中のストックを増やして、それと照らし合わせて判断するということが大切なように思います。
 
それにより、買い物の精度も高まることが期待できそうです。
自分が買って満足したものと照らし合わせて「満足したものっぽさ」をかぎ分けることでより満足度の高い購入ができる、ということです。
 
 
ちょっと前に話題になった東京オリンピックのエンブレム問題も、関係することと思います。
あのエンブレムを見て「日本っぽくないなぁ」とか「なにか違うなぁ」と感じた人は少なくないと思います。
 
実際、次のようなページもありました。
 
その「っぽくなさ」がどこかの既存のマークに似ていた、というところに起因したものである、というのはいきすぎた推論でしょうか。
 
個人的には、人間にはそのくらいの能力があるものだと思っています。ましてデザイナーとは、イメージを具象するプロですので、その能力には長けていて不思議ではありません。
 
受け売りとなるのですが、内田樹先生(勝手に先生と呼んでしまいます、すみません)のブログで「ブリコルール」についての話があります。
ブリコルールとは、ありあわせの材料で必要なものを作ることです。
 
少し内容を引用させていただきます。
 
ジャングルを歩いていると目の前にさまざまな「モノ」が出現してくる。植物であったり、動物であったり、無機物であったり、有機物であったり、人工のモノであったり、自然物であったり。その中のあるものを前にしたときにブリコルールは立ち止まる。そして、「こんなものでも何かの役に立つかもしれない」と言って、ほいと合切袋に放り込む。
なぜ、それがわかるのか。
ジャングルの中には「とりあえずその用途や実用性がわからないもの」がそれこそ無数にあったはずである。
どうして「今はその用途や意義が知れぬ」無数のオブジェの中から、とりわけ「それ」が彼の関心を惹きつけたのか。
私は彼がそうやって拾い上げた「モノ」はそれからあとのある時点で、必ず彼にとって死活的に重要な役割を果たし、「ああ、これをあのとき拾っておいてよかった」と嘆息をつく、という場面があったのだろうと思う。
 
 
この話と、今回の〇〇っぽさの話は、そう離れていないんじゃないかと思っています。
 
「必要かどうか」がわかる、ということが使えるっぽいという嗅ぎ分けなのかと思います。内田先生は先駆的な知と呼んでいて、これは「知らないけど、わかる」ということです。
ものを買うときも「これなら後悔しないっぽい」と感じとることです。良くなさそうなものを安いという理由で買って、本当に良くなかった経験はないでしょうか。
 
つまり人間の能力として「見たものの内在する価値を判断できる」ということがあると言えそうです。個人的な感覚では、よくないものの場合アラートが鳴る感じがします。「これはダメなものだー」と。
 
この精度を上げるには、自分で選択してよかった、よくなかった経験を蓄積させて、その参照データを増やす他無いように思います。
 
 
 
 内田先生の、この件に近い本は以下で購入できます。
邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)

邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)

 

  

今日の教訓

〇〇っぽいと感じることは大切で、その精度を上げるために自分の中のストックを日々上げていくことが大事

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